生きる目的を探す痛い主婦の徒然日記

育児中の主婦4ねん目。格差婚に苦悩しつつも夫と仲良く幸せに暮らせるよう日々努力しています。

小2の頃の嫌な思い出

ふと思い出して苦しくなったので徒然!


小学校2年生のときに、新しく赴任してきた30代の女性担任はとても人気があった。
話も面白くて、授業も楽しい。
みんなの興味に勉強を乗っける感じでとても素敵な先生で私も大好きだった。


ある日、その先生が「今日のこの時間は自習にします!みんな各自お勉強するように。ぬこだけちょっと先生とお出掛けしよう」と言われた。


え?!なんでぬこだけ?
お出掛けってなんだろう!楽しみだなあ♪
と、なにもわからず先生の自転車の後ろに乗せられて校門を出た。


先生に何度か「どこいくの?」とウキウキしながら話しかけた。
人気者の先生とお出掛けなんて嬉しいな〜ぐらいにしか思っていなかった。


先生がおもむろに自転車を止めて、神妙な顔で


「ぬこ、ここわかる?」
と、お米屋さんの前で言った。
「学校行くときも帰りも通ったりするよ(*´∀`*)」
「じゃあ、これは憶えてるかな?」
と言って、地面に描かれたラクガキを指差した。
田中バカ
(仮名です。本当は、同じ学年の知的障害の女の子の苗字で描かれていました)


「え?ぬこ知らない…いつから描かれてたのかなあ…?」
本当に知りませんでした。
なんで先生は、ぬこに聞くのかなあ?ぬこが登下校でよく通る道で何か知らないか聞いてるんだろう。
それぐらいに思っていました。



「本当に知らない?…ぬこが描いたんじゃないの?」



ガーーーーン(゚o゚;;



って、本当に効果音出てたんじゃないかな。って思います。w
今でも覚えてるんですが、めちゃくちゃ信用している先生に疑われている、自分が犯人だと思われているからここに連れてこられたのか。と合点がいって本当に視界が揺れました。
暑くなってきたちょうど今頃の季節だったと思います。
「本当に?一昨日、先生、ぬこと〇美に小さくなったチョークあげたよね?」
「ぬこは、描いて、ないよ」
そのあと再び先生の自転車に乗って学校へ帰りました。



その後、なぜか幼い私は「疑われたのは自分が母子家庭だからなのかな?」という気持ちにさいなまれました。自分が疑われるような悪い子だとはどうしても思えませんでした。


普段から祖母に「お前は父親を知らなくてかわいそうだ。父親がいないことで何か言ってくる人がいたらおばあちゃんにいうんだよ」
と言われ続けていて、勝手に「あ、これがおばあちゃんの言っていたことなんだ」
と思い込んでしまいました。


そのことを母にうまく伝えられず母は「父親がいない子はこうゆうことをするんだ」と先生が言ったと勘違いしていたようで


翌日、雨の中小学校まで母はきました。


休み時間で、私は友達と遊んでいて「あ、あれぬこのお母さんじゃない?」と言われ母の姿に気づき


母大好きな私は「おかあさ~ん!」
といつものように甘えたら、母は泣きながら「先生はどこ?」
といつもとは違う様子で、私は驚いて先生をすぐ呼んできました。


母は、うちの子はそんなことしません。母子家庭だからって馬鹿にしないでください!


と言い捨てて立ち去りました。


残された先生と私は、なんと言葉を交わしたか覚えていません。


あとから、いろいろその話が大人の間で議論され、先生が私を疑ったのは、数日前に私を含む何人かにチョークをあげていたこと、その数人の連絡帳の中から字の似ている私を疑ったことがわかりました。


結局その先生は次の年に別の学校へ赴任していきました。
みんなが先生との別れを惜しむ中、私は少しホッとしたような、みんなと同じようにさみしいような微妙な心境でした。


6年生の時、仲良くなった女の子と2人で遊んでいたとき
「2年生の時、ラクガキの事件あったでしょ?あれ描いたの私なんだwww」
と笑いながら言ってきて
(私は犯人じゃなかったって、本当の犯人はこの子なんだって先生にはもうわからないんだな…)と思いました。



今でもその先生の名前は憶えています。もしも叶うなら、先生の授業は楽しかったよ。人気者の先生に疑われてめちゃくちゃ傷ついたけど先生は知的障害の子を守りたかったんだよね。頑張ろうって責任感が空回りすることってよくあるよね。大人になってわかったよ。って伝えたいです。


悲しかったけど、被害妄想の強い子で申し訳なかったなあ(´・ω・`)



少しでも、良い大人になりたいです。笑